からだの声を聞く
今、意識的にダイエットを始めている。
太ったわけではないのだが、今よりもっとスタイルを整えたくなったからだ。(つまり、もうちょっと美しくなりたくなった)
それで、前から気になっていた、お腹と腰回りのお肉を落としたいなあ、と思ったら、身体の方がお蕎麦とかフルーツとか、太りにくくて消化のよいものを提案してくるように(自然と食べたくなるように)なった。協力的な身体である。
からだの声を聞く、ということを、数年前から試みている。
「痛みは身体からのメッセージである」
という説を人に聞いてから、痛みはもちろん、ちょっとした身体の違和感や不調、いつもと変わった感覚に耳を傾け、身体が伝えたがっていることを、感覚で読み取るようにしてきた。
最初のうちこそ、半信半疑だったが、続けていくうちに、だんだんとその精度が上がり、今では身体からの訴えが、具体的に言葉でイメージできるまでになってきた。
こうなってくると、身体が本格的な不調や病気に陥る前に、僅かな違和感や、微かな痛みの段階で気づき、対処できるようになったから、とても助かっている。
腹痛ひとつ取っても、身体はいろいろなことを教えてくれる。
睡眠が足りないのか、食べ過ぎなのか。食べるペースが適切でないのか。内臓が疲れているのか。排泄が滞っているのか。精神的なストレスを抱えているのか。ストレスとは我慢なのか、不安なのか、緊張なのか。それを、どのように対処したらいいのか。
そういったことに、いちいち耳を傾け、身体の要求に応えるようにしてきたら、身体の方もよりはっきりと伝えてくるようになり、今ではほんのちょっとしたことでも
「まだ睡眠が足りないんです。もう少し横になっててください」
「消化が間に合ってないので、まだ食べないでもらっていいですか」
「排泄が滞っています。デトックスを促すものを食べてください」
「お腹が冷え過ぎて動きが悪いです。温めてください」
「無理に働かされたのでストライキ中です。しばらく内臓機能が麻痺します」
「起き抜けに食べ物入れられるとビックリするんで、やめてもらっていいですか」
などと、このように痛みで訴えてくる。
こうなると、身体と会話ができているようで、純粋に面白い。
ちなみに、どのようにして声を聞くかだが、わたしの場合は、気になる場所に直接手を当てる。そして、手から感じ取れる反応を読み取る。
最初はぼんやりとした感覚だが、なんとなくこうかな? と、自分なりに読み取っていくうちに、だんだんとはっきりわかってくるようになる。後は練習量だ。
不思議なことだが、ただ手を当てるだけでも、身体は何らかの反応を返してくる。
腸が蠕動を始めたり、ゴロゴロ鳴り始めたり。時には、筋肉がピクリと反応したり、骨が勝手に動くような感覚がすることもある。
意識的にそれらを拾うようにしていくと、身体というのは、実に饒舌にメッセージを送っているのだ、ということがよくわかる。
それらをひとつひとつ受け取り、応じていくと、どんどん身体とコミュニケーションが円滑になり、自分の身体と仲良くなれるような気がする。
身体とコミュニケーションが取れ、身体と仲良くできているとき、痛みや不調だけでなく、あらゆる身体感覚はメッセージだ。
よく「身体が言うことを聞かない」と言う人がいる。
これは、実際には逆ではないか、と思う。
身体の言うことを、わたしたちが聞いていないのだ。
身体はいつだって、わたしたちに訴えかけている。
痛みで、違和感で、ちょっとした感覚の変化で。時には、はっきりとした不調で。
それらは、身体を自分の意思でコントロールしたい人にとっては「反逆」と映るだろう。自分の思い通りに身体が動かない、身体が自分に逆らっているのだ、と。
しかし、そうではない。
身体とは、自分自身だ。(当然のことだが)
だから、身体はいつだって、自分自身のために動く。自分を生かすために動いている。肺も心臓も、内臓も。他のどんな器官も。自分の意思とは関係なく、勝手に呼吸をし、血液を循環させ、代謝を行う。
身体はいつだって、自分を生かそうとしている。
痛みや不調が生じるのは、その機能に滞りが出ているサインだ。
身体の機能に負荷がかかっているので、それを正常に戻して欲しい、そのために生活や行動を変えて欲しい、というメッセージを送られているのだ。
そのサインに逆らっているから、痛みが消えない。機能も悪化する。
ただそれだけのことで、つまり自分(身体)に対する反逆行為を行っているのは、自分(思考)ということになる。
身体と上手にコミュニケーションできていないとき、おそらく人の意識の中で、身体と思考が分離している。
もっと言うと、自分自身とは思考(脳)のことであって、身体はその付属品、というような感覚に陥っているように感じる。
だから、思考だけで身体の動きを全てコントロールが可能なように、錯覚してしまう。
しかし実際には、わたしたちは、思考も身体も全て引っくるめて「自分自身」だ。
身体だけが、別の存在なのではない。
身体が動かないとき、身体が痛みを訴えるとき、それは大抵の場合、自分(思考)が身体に無茶を要求していて、身体の機能がその限界を超えたときだ。
つまり、自分に対して協力的でなかったのは、身体ではなく思考の方だ。
身体の声を注意深く聞くようにすると、身体というのは、本当はとても、自分に協力的だとわかる。
上で、身体の痛みは思考の無茶ブリに応えられなかった結果だ、と書いたが、昔、動物病院勤務で激務だった頃、子宮に生理の日にちをずらしてくれるよう、訴えたことがある。(オペが何件も重なる日は、何時間もトイレに行けなかったりしたので)
果たして、子宮はわたしの希望通りに、生理をずらしてくれるようになった。
しかし、あまりにも何度も続けて要求した結果、ついに生理そのものが来なくなり、その半年ほど後に限界を超え、大氾濫を起こして倒れることになった。
氾濫するまで無茶をしたのは、もちろんわたしのミステイクだが、この通り、身体というのは要求すれば、できる限り、無茶にでも応えようとしてくれる。
今ではもちろん、無茶を要求するようなことはしていない。
その代わり、身体のことは身体に聞くようにしている。
腰が痛むときは、腰に負担をかけない姿勢を身体に聞く。すると、正しい立ち方を身体が教えてくれる。
最近、それで「骨盤を立てる」とはどういう状態か、初めてわかった。自分で思っていたよりも、骨盤は前に傾いていて、正しい位置に治すと、腹筋のインナーマッスルにかなり効く。
「いい姿勢」とは、身体の機能をまんべんなく使う、無駄のないかたちなのだとわかった。これをキープするだけで、無駄な肉はつかないし、所作も美しくなる。長年の悪習慣があるから、キープ出来るようになるまで、今のところ積み重ねが必要だけど。
他にも「お尻の筋肉をつけるには、どんな動きをすればいいか?」みたいな質問にも、最近は応えてくれるようになった。外反母趾と内反小趾で開かない足の指も、同じやり方で動かす実験中だ。
今でも、コンビニスイーツの新作が出たりすると、好奇心に負けて「糖分は腸壁を痛めるから控えてって言ったじゃないですかああ」とお腹に叱られたりしているが、少しずつ、身体の声に応えるダイエットを実践していこうと思う。
必要なことは、身体がきっとわかっているから、わたしはそれに応えるだけだ。
(これが難しいっちゃ難しいのだが)
また後に、経過を報告できたらしようと思う。