後悔しない選択
後悔しない選択とは、なんだろうか。
よく、迷っている人に対して「後悔しない選択をしなさい」というアドバイスをする人がいる。
しかし、どういう選択が後悔しないのか。後悔しない選択とは何なのか、どうやったら後悔しない選択ができるのか。これを伝える人はとても少ない。
よく言われるのは、
「やった後悔と、やらなかった後悔」
である。
「人は、やったことは後悔しないが、やらなかったことは後悔する」という一説がある。
また「やった後悔は長続きしないが、やらなかった後悔は一生残る」という説もある。
これらを見ると、行動に起こしたことは、絶対に後悔しないようにも思える。
しかし、本当にそうだろうか。
やってしまったことを一生悔い続ける人だって、世の中にはいる。
ということは、これらは「一説」ではあるのだろうが、絶対とは言えない。
先日のことだ。
不二家のショウケースの前で、ケーキを物色していたときの話である。
これはあんずとももさんのケーキ
元々はチーズケーキ狙いで行ったのだけど、その日はたまたま、昨日まではなかったショートケーキが置いてあった。
正直、ショートケーキに一瞬で心惹かれて、めっちゃ食べたくなったんだけど、買いに来たのはチーズケーキ。一応、それと比べる。
チーズケーキにも三種類くらいあって、スフレチーズケーキ、NYチーズケーキ、チーズタルトと、どれも美味しそうなのが並んでる。
この中で一番金額が高いのは、ショートケーキ。
安いのはスフレチーズケーキ。
ショートケーキは、値段で思い止まった。
値段の安さで選ぶなら、スフレチーズケーキだ。
しかし、チーズケーキは他に二種類もあって、それを買うならいやこっち......いや、やはりこっち......と、気持ちが迷い始めてしまう。チーズケーキは、どれも味や食感が微妙に違って、どれも美味しいから迷ってしまう。値段も、それほど大きな差はない。
だから、頭の中では当たり前のように「三種類のチーズケーキのどれにするか」という論争が始まっていたのだけど、選びながら思った。「これは、どれを選んでも後悔しそうだ」と。
そこで、わたしは発想を変えた。
「どれを選んでも後悔するのだとしたら、一番好きなものを選ぼう」
すると、驚くほど自然に買うものが決まった。
ショートケーキだ。
その瞬間、面白いことが起こった。
チーズケーキの中から、どれか一つを選ぼうとしていたときには、ひとつを選ぼうとする度に浮かんでいた「他のにしておけばよかったかも」という後悔の念が、ショートケーキに決めた途端に、一切なくなった。
あるのは「これにしてよかったー♡」という、満足感だけだった。
どういう選び方をすれば後悔しないか。
この体験からわたしが学んだ、ひとつの説はこうだ。
「一番好きなものを選べば、後悔しない」
「一番」好きなもの、「一番」欲しいもの、「一番」大事なものを選ぶこと。
ひょっとしたら、人が本当に喜びを感じるのは「一番」のものだけで、「二番目」以下のものは、実はそれほど大きな差はないのかもしれない。
だから、「二番目」以下のものを、どれほどよく吟味して、どれほど真剣に悩んで選んだとしても、やはりそこには後悔が生まれてしまうのではないだろうか。
それは
「あれにすればよかった、これにすればよかった」
という後悔ではなく
「一番を選べばよかった」
という後悔だ。
それが一番でないなら、あれにしようがこれにしようが、どちらにしろ後悔するのだろう。
そう考えると、後悔するのは「一番」ではなかったからだ。
逆に言うと、後悔しそうだ、と感じるなら、一番ではないものを選ぼうとしているからだ。二番目以下の選択肢の中で、なんとか妥協点を探そうとしているから、ではないだろうか。
だとすれば、後悔しないように、と選択を迷っているとき、自分が一番、本当に、選びたいものはその中ではなく、別のところにあるのかもしれない。
二番目以下で妥協しようとしているとき、人は「安全」を求めている。
「後悔」という嫌なことを回避しようとして、守りに入っているのだ。
しかし皮肉なことに、後悔を避けようとすることによって、人は「後悔する選択」をしてしまうことになる。
このように考えていくと、
「後悔しない選択をするためには、後悔を避けようとしないこと」
ということになる。
「後悔しない選択」をするのではなく「一番選びたいものを選ぶ」こと。
頭の中に「後悔」がよぎるなら、その選択肢の中に、おそらく「一番」はない。
「後悔しないか」
「どれが一番マシか」
そのような、消極的な選択の中に「一番」はない。
心が喜びと共に選ぶもの。
それが「一番」だ。
それを選ぶことができたら、多分、後悔はしない。
ブレブレでもw