一文無しで八丈島に
二年前の今頃、わたしは一文無しで八丈島にいた。
理由は全く褒められたものではないが、全てにリセットをかけたくなったからだ。言葉面は多少格好いいが、要は仕事から逃げ出したくなったのである。
当時、家庭教師の仕事で全く稼げておらず、生活は困窮を極めていた。
わたしは毎日支払いに追われ、督促の電話に怯え、ひとときも心休まる暇がなかった。
とにかく毎日、何かに追われているような感覚に怯え、怖くて怖くて仕方なかった。
あるとき、わたしは考えた。
「わたしは、何が怖いのだろう?」
いつもいつも怖いと感じていた。
しかし、実際のところ、わたしは何に対して、こんなにも怯えているのだろうか?
考えてみたら、その正体を明確にしたことはなかった。
わたしは、本当は何を怖がっているのだろう?
「お金がなくなるのが怖い」
一番はそれだった。
ではなぜ、お金がなくなると怖いのだ?
「ここ(マンション)を追い出される」
そうだね。追い出されるとどうなる?
「路頭に迷う。寝るところがなくなって、わたしは死んでしまう」
そうか。
究極のところ、わたしは死ぬのが怖いのだ。
そして、お金がなくなったら死ぬと信じている。
だからお金がなくなるのが怖いのだ。
そこで、わたしは考えた。
「お金がなくなるのが怖い。なら、お金をなくしてしまえば、その恐怖はなくなるのでは?」
名付けて「恐怖迎え撃ち作戦」だ。
お金が減っていくのが怖いのなら、これ以上減らなくすれば(ゼロにすれば)「減っていく恐怖」はなくなる。(はずだ)
そして、もうひとつ。
「お金がなくなったら死ぬ」
と思い込んでいるが、それは果たして真実だろうか?
これも、実際にお金をなくしてみれば、わかることだ。
果たして、わたしはその2つの問いにチャレンジすべく、実際にお金を使い果たし、一文無しになってみた。
そして、家具類は全て人に譲り、残りは処理業者にお願いして、マンションの部屋も引き払った。あとは八丈島への飛行機チケットだけ持って、ほとんど身一つで旅立った。
結論から言うと、わたしが今こうしてブログを書いていることが、この問いの答えである。
お金がなくなっても、わたしは死ぬことはなかった。
それどころか、一度も路頭に迷うことなく、一度も飢えることなく、好きなときにいつでも車で送り迎えしてもらえ、現地の新鮮な野菜と魚を大量にいただき、毎日健康な食事をして、充分な睡眠を取り、週に一回は露天風呂に入り、ときどき食事を奢ってもらえる、という、天国のような毎日が待っていた。
ついでに、外は緑に囲まれ、10分も歩けば海に辿りつき、いつでもTシャツで充分な気温という、パラダイスのような環境である。
なんでこんなことになったか?
というと、ひとえに八丈島の人々が優しい人ばかりだったから、に他ならない。
一応、事前に当面泊まるところと、仕事を紹介してもらっていたのだけど(この辺りは抜かりなく。まだここまで無策で挑めるほど弾けてなかったw)手持ちのお金は一切なくて。
わたしが何をしたか、というと、
「素直に白状する」
「自力を捨てる」
この二点だった。
「わたし、訳あって一文無しなのですが、どうしたらいいでしょうか?」
と、素直に現状を伝えた。そして、自分で対処を考えるのをやめ「どうしたらいいでしょう?」と、相手に判断を委ねた。
そうしたら、周りは助けてくれる人たちばかりになった。
お金を貸してくれる人、好きなときに車出してあげるから呼んでいいよ、と言ってくれる人、食料のお裾分けをくれる人、お小遣いをくれる人までいた。
さらに驚いたことに、何やら訳ありで、一文無しで東京から突然やってきた、得体の知れない女であるわたしに、否定的なことを言う人は誰もいなかったのだ。
それどころか
「いやあ〜、君は自由でいいなあ」
「わたしもそんな生き方をしてみたいよ」
「一文無しだなんて、カッコいいですね!」
などと、若干褒められたりした。まじか。
それまでのわたしにとっては、「お金がない」というのは、恥以外のなにものでもなかった。
しかも、自ら起業しておいて、稼げてないなんて。
お金がない、ということは
「わたしは事業で失敗しました」
「わたしにはビジネスセンスがありません」
「ついでに才能もありません」
と暴露するようなもの。絶対に人にバレてはいけない、最大級の汚点だった。
だから、たいへん愚かしいことだが、わざわざちょっといいドレス(アウトレット品)を着て自撮りをしてみたり、華やかな交流会に参加して、これ見よがしにSNSにアップしてみたり、有名人との繋がりをアピールしてみたり、あらゆる手を使って「売れているわたし」を演出したりしていた。(今思えば、全てバレていたに違いないが)
それほど「売れていない自分」「稼げてない自分」「お金がない自分」をさらけ出すのは、怖かった。
すなわち、弱い自分を見せることが、怖くて仕方なかったのだ。
だから、この旅は「お金がない現実」に挑戦する意味と、
「弱い自分を人前にさらけ出す」
という、もう一つ大きなチャレンジがあったのだと思う。
いきなり占いの話になるが、わたしの太陽星座は獅子座で、数秘術は1だ。
共通する性質は「負けたくない」「プライドが高い」「我を通したい」である。
この性質を強く持つわたしが、人前に弱みをさらすことは、ある種バンジージャンプを飛ぶのに等しい、勇気と覚悟を必要とするチャレンジだった。
ある意味、お金がなくなることそのものより、こちらの方が大きなバンジーだったのではないか、と思える。
しかし運命は、その勇気に見合うだけのギフトを、ちゃんと用意してくれていた。
お金がない現状をさらしたわたしを、誰ひとり否定することはなかった。
人に迷惑をかけ、何かとお世話になるばかりだったわたしを、誰も責めなかった。
自分が自分を否定しなければ、世界(他者)が否定してくることはない。
自分が自分を責めない限り、世界(他者)から責められることはない。
という宇宙の法則を、身を持って体験することができた。
これはとても大きなギフトだ。
しかし、それ以上に
「弱いわたしでもいい」
「役に立たないわたしでもいい」
「結果を残せないわたしでもいい」
「迷惑をかけるわたしでもいい」
「してもらうばかりのわたしでもいい」
「何も返せなくていい」
これを体感できたこと、これが何より大きかったのだと思う。
死ぬのが怖い、と思っていたが、究極わたしは多分、弱くなるのが怖かったのだと思う
いや、違う。弱いのは、最初から弱かった。
弱い自分を人に知られることと、弱い自分を認めることが怖かったのだ。
どこまでも見栄っ張りな自分が恥ずかしい。
こんなわたしが、
「弱い自分でも受け入れてもらえる」
「何もない自分でも優しくしてもらえる」
この体感を知れたことは、本当にありがたいギフトだった。
このおかげで、わたしの恐怖の殻は、おおかた破壊された。
八丈島には、結局一ヶ月くらいしかいられなかったんだけど(仕事をクビになってw)わたしにとっては、とても大切な場所で、思い出だ。
山も海もあるし、人はオープンで親切だし、魚も野菜も美味しいし、海好きには絶好のダイビングスポットで、大物が釣れる猟場でもある、ついでに海を一望できる絶景の露天風呂に500円で入れる素晴らしいところなので、よかったらぜひ一度行ってみて欲しい。
ちなみに、最後になるが
「お金がなくなれば、お金がなくなる恐怖はなくなるか?」
という問いについては、実体験に基づいた検証の結果、答えはNOであった。
さらに実は、この二年間の間に、もう4回ほど一文無しになっているのだけど(一度経験したら、抵抗がなくなってしまってw)一度も怖くなくなることはなかった。
お金がなくなると、毎回怖い。
なんと言うか、生命を脅かされる、というような、本能的な恐怖に襲われる。
やはり人間も動物であるとは言え、現代社会においては、お金と生命は結びついているからじゃないかと思う。だから、これは多分、回数を重ねても怖くはなくならないんじゃないかな。
とは言え、これはわたし個人の体験によるものなので、他の人なら怖くなくなることもあるのかもしれないし、何なら最初から全然怖くない、という人もいると思うので、人それぞれとしか言いようがない。
自分の場合はどうか、と考えるのなら、実体験してみるのが一番確実だと思う。(オススメは絶対にしないが)やるなら自己責任でお願いします。
八丈島でご機嫌なわたくし。