一文無しで八丈島に

二年前の今頃、わたしは一文無しで八丈島にいた。

 

 

f:id:asamitoda:20171022054946j:image

 

 

理由は全く褒められたものではないが、全てにリセットをかけたくなったからだ。言葉面は多少格好いいが、要は仕事から逃げ出したくなったのである。

 

 

当時、家庭教師の仕事で全く稼げておらず、生活は困窮を極めていた。

わたしは毎日支払いに追われ、督促の電話に怯え、ひとときも心休まる暇がなかった。

とにかく毎日、何かに追われているような感覚に怯え、怖くて怖くて仕方なかった。

 

 

あるとき、わたしは考えた。

「わたしは、何が怖いのだろう?」

いつもいつも怖いと感じていた。

しかし、実際のところ、わたしは何に対して、こんなにも怯えているのだろうか? 

 

 

考えてみたら、その正体を明確にしたことはなかった。

わたしは、本当は何を怖がっているのだろう?

 

 

「お金がなくなるのが怖い」

一番はそれだった。

ではなぜ、お金がなくなると怖いのだ?

「ここ(マンション)を追い出される」

そうだね。追い出されるとどうなる?

「路頭に迷う。寝るところがなくなって、わたしは死んでしまう」

 

 

そうか。

究極のところ、わたしは死ぬのが怖いのだ。

 

 

そして、お金がなくなったら死ぬと信じている。

だからお金がなくなるのが怖いのだ。

 

 

そこで、わたしは考えた。

 

「お金がなくなるのが怖い。なら、お金をなくしてしまえば、その恐怖はなくなるのでは?」

 

名付けて「恐怖迎え撃ち作戦」だ。

お金が減っていくのが怖いのなら、これ以上減らなくすれば(ゼロにすれば)「減っていく恐怖」はなくなる。(はずだ)

 

 

そして、もうひとつ。

「お金がなくなったら死ぬ」

と思い込んでいるが、それは果たして真実だろうか?

これも、実際にお金をなくしてみれば、わかることだ。

 

 

果たして、わたしはその2つの問いにチャレンジすべく、実際にお金を使い果たし、一文無しになってみた。

 

 

そして、家具類は全て人に譲り、残りは処理業者にお願いして、マンションの部屋も引き払った。あとは八丈島への飛行機チケットだけ持って、ほとんど身一つで旅立った。

 

 

f:id:asamitoda:20171022055051j:image

 

 

結論から言うと、わたしが今こうしてブログを書いていることが、この問いの答えである。

 

 

お金がなくなっても、わたしは死ぬことはなかった。

 

 

それどころか、一度も路頭に迷うことなく、一度も飢えることなく、好きなときにいつでも車で送り迎えしてもらえ、現地の新鮮な野菜と魚を大量にいただき、毎日健康な食事をして、充分な睡眠を取り、週に一回は露天風呂に入り、ときどき食事を奢ってもらえる、という、天国のような毎日が待っていた。

 

 

ついでに、外は緑に囲まれ、10分も歩けば海に辿りつき、いつでもTシャツで充分な気温という、パラダイスのような環境である。

 

 

f:id:asamitoda:20171022055251j:image

 

 

f:id:asamitoda:20171022055515j:image

 

 

f:id:asamitoda:20171022055645j:image

 

 

f:id:asamitoda:20171022055433j:image

 

 

なんでこんなことになったか?

というと、ひとえに八丈島の人々が優しい人ばかりだったから、に他ならない。

 

 

一応、事前に当面泊まるところと、仕事を紹介してもらっていたのだけど(この辺りは抜かりなく。まだここまで無策で挑めるほど弾けてなかったw)手持ちのお金は一切なくて。

 

 

わたしが何をしたか、というと、

「素直に白状する」

「自力を捨てる」

この二点だった。

 

 

「わたし、訳あって一文無しなのですが、どうしたらいいでしょうか?」

 

 

と、素直に現状を伝えた。そして、自分で対処を考えるのをやめ「どうしたらいいでしょう?」と、相手に判断を委ねた。

 

 

そうしたら、周りは助けてくれる人たちばかりになった。

お金を貸してくれる人、好きなときに車出してあげるから呼んでいいよ、と言ってくれる人、食料のお裾分けをくれる人、お小遣いをくれる人までいた。

 

 

さらに驚いたことに、何やら訳ありで、一文無しで東京から突然やってきた、得体の知れない女であるわたしに、否定的なことを言う人は誰もいなかったのだ。

 

 

それどころか

「いやあ〜、君は自由でいいなあ」

「わたしもそんな生き方をしてみたいよ」

「一文無しだなんて、カッコいいですね!」

などと、若干褒められたりした。まじか。

 

 

それまでのわたしにとっては、「お金がない」というのは、恥以外のなにものでもなかった。

 

 

しかも、自ら起業しておいて、稼げてないなんて。

お金がない、ということは

「わたしは事業で失敗しました」

「わたしにはビジネスセンスがありません」

「ついでに才能もありません」

と暴露するようなもの。絶対に人にバレてはいけない、最大級の汚点だった。

 

 

だから、たいへん愚かしいことだが、わざわざちょっといいドレス(アウトレット品)を着て自撮りをしてみたり、華やかな交流会に参加して、これ見よがしにSNSにアップしてみたり、有名人との繋がりをアピールしてみたり、あらゆる手を使って「売れているわたし」を演出したりしていた。(今思えば、全てバレていたに違いないが)

 

 

それほど「売れていない自分」「稼げてない自分」「お金がない自分」をさらけ出すのは、怖かった。

 

 

すなわち、弱い自分を見せることが、怖くて仕方なかったのだ。

 

 

だから、この旅は「お金がない現実」に挑戦する意味と、

「弱い自分を人前にさらけ出す」

という、もう一つ大きなチャレンジがあったのだと思う。

 

 

いきなり占いの話になるが、わたしの太陽星座は獅子座で、数秘術は1だ。

 

 

共通する性質は「負けたくない」「プライドが高い」「我を通したい」である。

この性質を強く持つわたしが、人前に弱みをさらすことは、ある種バンジージャンプを飛ぶのに等しい、勇気と覚悟を必要とするチャレンジだった。

 

 

ある意味、お金がなくなることそのものより、こちらの方が大きなバンジーだったのではないか、と思える。

 

 

しかし運命は、その勇気に見合うだけのギフトを、ちゃんと用意してくれていた。

 

 

お金がない現状をさらしたわたしを、誰ひとり否定することはなかった。

人に迷惑をかけ、何かとお世話になるばかりだったわたしを、誰も責めなかった。

 

 

自分が自分を否定しなければ、世界(他者)が否定してくることはない。

自分が自分を責めない限り、世界(他者)から責められることはない。

 

 

という宇宙の法則を、身を持って体験することができた。

これはとても大きなギフトだ。

 

 

しかし、それ以上に

 

「弱いわたしでもいい」

「役に立たないわたしでもいい」

「結果を残せないわたしでもいい」

「迷惑をかけるわたしでもいい」

「してもらうばかりのわたしでもいい」

「何も返せなくていい」

 

これを体感できたこと、これが何より大きかったのだと思う。

 

 

死ぬのが怖い、と思っていたが、究極わたしは多分、弱くなるのが怖かったのだと思う

 

 

いや、違う。弱いのは、最初から弱かった。

弱い自分を人に知られることと、弱い自分を認めることが怖かったのだ。

どこまでも見栄っ張りな自分が恥ずかしい。

 

 

こんなわたしが、

「弱い自分でも受け入れてもらえる」

「何もない自分でも優しくしてもらえる」

この体感を知れたことは、本当にありがたいギフトだった。

 

 

このおかげで、わたしの恐怖の殻は、おおかた破壊された。

 

 

八丈島には、結局一ヶ月くらいしかいられなかったんだけど(仕事をクビになってw)わたしにとっては、とても大切な場所で、思い出だ。

 

 

山も海もあるし、人はオープンで親切だし、魚も野菜も美味しいし、海好きには絶好のダイビングスポットで、大物が釣れる猟場でもある、ついでに海を一望できる絶景の露天風呂に500円で入れる素晴らしいところなので、よかったらぜひ一度行ってみて欲しい。

 

 

f:id:asamitoda:20171022055755j:image

 

 

f:id:asamitoda:20171022055814j:image

 

 

f:id:asamitoda:20171022055836j:image

 

 

ちなみに、最後になるが

「お金がなくなれば、お金がなくなる恐怖はなくなるか?」

という問いについては、実体験に基づいた検証の結果、答えはNOであった。

 

 

さらに実は、この二年間の間に、もう4回ほど一文無しになっているのだけど(一度経験したら、抵抗がなくなってしまってw)一度も怖くなくなることはなかった。

 

 

お金がなくなると、毎回怖い。

なんと言うか、生命を脅かされる、というような、本能的な恐怖に襲われる。

 

 

やはり人間も動物であるとは言え、現代社会においては、お金と生命は結びついているからじゃないかと思う。だから、これは多分、回数を重ねても怖くはなくならないんじゃないかな。

 

 

とは言え、これはわたし個人の体験によるものなので、他の人なら怖くなくなることもあるのかもしれないし、何なら最初から全然怖くない、という人もいると思うので、人それぞれとしか言いようがない。

 

 

自分の場合はどうか、と考えるのなら、実体験してみるのが一番確実だと思う。(オススメは絶対にしないが)やるなら自己責任でお願いします。

 

 

f:id:asamitoda:20171022060238j:image

八丈島でご機嫌なわたくし。

 

 

FB:http://facebook.com/asamitoda0729