不可能なんて可能にしろ!————飛べ!〜パーフェクト・レボリューション〜
映画「パーフェクト・レボリューション」を観てきました。
まずは、この予告編。
ヒロイン、ミツのモデルになった女性、子宮委員長はるさん(子宮委員長はるオフィシャルブログ「子宮委員長はるの子宮委員会」Powered by Ameba)のことは、もう何年もファンをやっていますが、この予告編を観て最初に思ったのは、
「はるちゃんは、昔からはるちゃんだったのだ......!」
という驚きでした。
ブログで見るはるさんの文章は、穏やかで知的な印象ですが、それだけではなく、性を通してにんげんの深い本質部分を捉える洞察と、それを自分の人生と肉体を使って、容赦なく追求し、えぐり込み、さらけ出していく強靭さ、徹底して己を貫くまっすぐな姿勢を感じています。
そして、そこから勝手に感じていたはるさんの人間性ーーどこまでも自分に正直で、純粋で、無邪気で、自然現象のように素のまま、気分次第に全開、自由気まま、爆発的に素直で感情的な人なんじゃないかな......と思っていたら、そのイメージそのままの姿をしていたのが、映画のミツでした。
(実際にはるさんにお会いしたことはないのですが、本物のはるさんはもっと落ち着いていて上品な方だそうです)
まことに勝手なイメージなのですが、そんな印象を持ちつつも、どことなく心の奥底で、
「はるちゃんも最初からはるちゃんだったわけではなく、少しずつ今のはるちゃん像になっていったのでは」
と思っていた節があったのですが、この予告編を見て、打ち砕かれました。
やっぱり最初から、はるちゃんははるちゃんだったのだ!(二度目)
すごいなあ......と思う反面、どこか引け目のようなものも感じました。
それは、わたしはここまでぶっとんで生きることはできない、という劣等感と、ここまでリアルにぶっとんで生きてる人がいたら怖い!という感覚でした。
思えば、多分それは、わたしの中にある「さらけ出すこと」に対する恐怖だったのでしょう。
さて。予告編の感想だけで長くなりました。
本題に入ります。
このミツというキャラクター、はるさんの婚約者であるリュウ博士(八木龍平オフィシャルブログ「リュウ博士の自分で考えるスピリチュアル」Powered by Ameba)が「台風のような女性」と、そして元夫である岡田哲也さん(心身調律セラピスト 岡田哲也オフィシャルブログ「で、ほんとはどうしたいの?」Powered by Ameba)と、元カレである一明源さん(〜直感的源論〜)が「ジェットコースター」と評されていましたが、実際に観てみて「まさにその通り」と思いました。
なんというか、台風がジェットコースターに乗ってやってきた、というか(笑)
ミツの行動を見ているときの体感が、まさにジェットコースターに乗っている感覚なんですよ。
なに......?
なんなのこれ......?
ど、どうすんの......?
どこまで行っちゃうの......?
え、それはマズいでしょ......!
いや、危ないって!!
ちょっと待って!!
やだ!怖い!!
危ない!!
怖いって!!
でも......でも......なんか楽しい!!♡
こう、なんだろうな。頭はものすごく怖がるんです、ミツの行動を。ミツという存在を。やばいでしょ、ダメでしょ、それは無理でしょ、って騒ぐ。
でも、お腹の底の底の部分は......間違いなく、喜んでる。
そうだよ、こうでなくちゃ!!と叫んでる。
一種のエクスタシーに似た感覚。
一番、すげーーなーー!と度肝を抜かれて印象に残ったのが、タイトルにも入れたこのセリフ。
「不可能なんて可能にしろ!!!」
可能にしろ、て。
可能にできるよ、でも可能にしよう、でもなく「しろ!!!」って(笑)
この命令形がものすごく潔く感じて、腹にスカッと来ました。
すげーーーーなーーーーこの人は。
そして、その後の「飛べ!!!」の言葉通り、飛んで見せたミツ。
惚れ惚れしました。かっこいいわ。
こうやって可能にしていくんだ。
可能ならやる、なんてレベルではもちろんなく。
可能性を探していこう、とかでもなく。
そんな言葉が生温く感じるくらい、強烈にいのち丸ごとぶつかるんだ。
その姿勢が、まるで生きた弾丸のようで、完全に撃ち抜かれました。
次に印象深かったのは、主人公クマピーの実家のシーン。
親族同士の閉塞した人間関係、そこにいる人たちの人物造形が、あまりにもリアリティがありすぎて、苦しくなります。
あの、演説をかます叔父さん?とかね。いるよなーーこういう人。
でも、あの人も善意の人なんですよね。あそこに多分、悪人はひとりもいなくて、みんなそれぞれの善意で動いていて、そして、みんな「正しい」ことを言っている。
うん。正しいよなあ。それが正しい、まっとうな、普通の意見だよなあ。
そう思いながら聞いていました。
みんな「正しい」
でも誰ひとり「ほんとうのこと」は言っていない。
全員が全員、自分やお互いを縛り合って、すごく苦しそうに生きているな、と感じました。
正しくあろうとして、みんな苦しい。
いや、違うな。制限された幸せ、いや、もっと言うと「最低限不幸ではない生き方」に、自分を押し込めようとして、窮屈に息苦しそうに生きている。
あの閉塞感を打開するには、ミツのような爆発力が必要になるのだろう。
そして、その閉塞をよしとする人には、ミツのような人物は危険物になる。
レストランでクマを差別した客に、掴みかかったミツ。
あの怒りを爆発させた姿。
地面に引っくり返って大泣きする姿。
喜びで絶叫する姿。
どれも「いい年した大人」がやることじゃない。
でも、見ていてどれも美しいと感じた。
なんか、これが「ほんとう」だよな。って思った。
これが「ほんとうの姿」だし、本当はみんな、こうありたいんじゃないかな、って。
なんだか観ていて、無性にお腹の中が動く。
自分の中に押し込められていた「ほんとう」の何かが、動きたい、外に出たい、と動き出す感じ。
これは「革命」だけど、わたしにとっては出産、陣痛に似ていたかもしれない。(どちらも経験はないけど)
ラストシーンは賛否両論あるけど、いやいや、あれはあれでなくちゃダメでしょ。
あれでこそミツとクマ......いや、あれでこそ「子宮委員長はる」でしょ!!
そう思いました。(お会いしたこともないのに勝手にw)
最後に、再び出てくるあのセリフ。
ゾクッとしました。
ふたりを観ながら、最後は笑いながら泣いていました。
チーナ / 世界が全部嘘だとしても (LIVE)「パーフェクト・レボリューション」主題歌
この曲、最高ですよね。
理由なんてない。
理由なんていらない。
純粋な想いだけでいい。
それ以外は全部、いらない殻なんだ。
「好き」だけで動ける。
怖さがなくなった。
ミツが怖かったけど、怖さを消してくれたのがミツでした。
やっぱり、怖いのはミツじゃなくて、殻を脱いで裸になる怖さだったんだな。
怖くなりそうなとき、ほんとうの自分を思い出したいときに、また観たいなと思いました。
問答無用でなにかに火がつく映画です。