占いとは情報だ。

占いオタクというやつを、四半世紀ほどやり続けている。

一時期は、それが高じて、原宿のサロンでタロット占い師をしていたほどだ。

 

 

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はじまりは、小学生のとき、雑誌の巻末にあった星占い。

そこからありとあらゆる占いを研究し、占星術から、手相から、血液型、数秘術オーラソーマ、人相、タロット、動物占い(これは正確には個性心理学)、最近では四柱推命まで、だいたい網羅してきた。

 

 

それこそ、小中学生の頃は、ゲームセンターにあるような、信憑性のまるで危うい占いゲームで、キャーキャー言いながら相性占いなんてやっていた。

 

 

ところで、占いオタクの割に、わたしは運勢に興味がない。

自分の未来を知りたいとは、あまり思わないからだ。(先が見えている未来なんて、何が面白いというのだ)それがいい未来であれ、悪い未来であれ、その場で感じ、その時の自分の感覚で動きたい。(あるいは動かないでいたい)

 

 

あと、基本的に予定を立てて動くことができない人間なので(その場のノリと気分だけで動くから)、例えばこの日が運勢的にすごくいい日ですよ(大安とか、一粒万倍日とか)という情報があっても、ほぼ確実に活用できない。よって、運勢を知ることには、ほとんど意味がない。

 

 

じゃあ、何で占いをやっているかというと、その理由はたったひとつ。

自分を知るためだ。

 

 

たくさんの占いを本格的にやってみるとわかるけど、占い(や、診断)で「あなたはこんな人物です」と言われる内容は、だいたいどれをやっても同じ結果になる。

 

 

これは、人にはいろんな要素があるから「明るい人です」と言われても「暗いところがありますね」と言われても、どっちにしろ当たるに決まってるとか、そういう表面的な話はしていなくて(そもそも、当たる当たらないはどうでもいい)

 

 

占いを通して、各種データやホロスコープによって、浮かび上がってくる「人物像」というのがある。それは、過去数百〜数千年の叡智を用いて、統計的に分析された「1981年7月29日生まれの人物」の姿だ。

 

 

もし、自分のことが全然わからない、という人がいたら、一旦こうした占いの結果を信じてみるのも手だ。

 

 

わたし自身、多くの占いを見て、多くの人を占ってきたが、ちゃんとした(←ここ大事だけど)占いや診断の結果は、けっこうな割合で的を射ていることが多い。

 

 

何もかもを妄信する必要なんてもちろんないけど、一旦、仮に、この鑑定結果を客観的に見て「ああ、これが自分なんだなあ」と思ってみる。それだけでも、ひとつのデータ(客観的な情報)としては、なかなか面白い。

 

 

特に、複数の占いで共通して言われることなどは、より信憑性が高いと感じる。し、多くの場合、実際に自分の中に強くある要素だったりする。さらに、周りの人からも言われることだったりすると、ほぼビンゴ。

(ちなみにわたしは、どんな占い・診断をやっても「狡猾な策略家」と書かれます)(自覚はない)

 

 

わたしの場合は、鑑定の結果を一旦全て受け入れてみる。その上で、自覚があるところも、そうでないところも、自分自身の内面と照らし合わせてみる、という作業を行っています。

 

 

自覚できるところは、どういうときにその面が出てきやすいのか。その要素が、自分の中を占める面積はどれくらいか。それは、いい面なのか、悪い面なのか。

 

 

自覚できない、いまいちピンと来ないものでも、もし自分の中にあるとすれば? という視点で、自分を見てみる。

 

 

上でも書いているように、人間はあらゆる側面を持っているから、どんなことを言われたとしても、自分の中を探せば、全く見当たらない要素なんてないのだ。

 

 

あるとすれば、その要素を表に出しているか、出さないようにしているか。あるいは、自分自身がその要素を認めているか、認めていないか、だ。

 

 

もっと言うと、その要素を自分自身が、好きか嫌いか、ということなのだろう。

 

 

わたしが四半世紀にも渡って、占いによる自己分析をやり続けているのも、究極ここに行き着くのではないか、という気がする。

 

 

もともと、自分のことがよくわからない人間だった、というのもある。だから知りたかったし、誰かに教えてもらいたかった、答えを聞きたかった、というのもある。

 

 

しかしそれ以上に、わたしの場合は、自己分析が三度の飯より大好きな、自分大好き人間だった、というのが大きな理由だ。基本的に、興味関心が自分の内側を向いていて、言ってみれば、自分のことにしか興味がないナルシストなのである。

 

 

だからといって、いや、むしろ常に自分の内側に興味が向いている人間だからこそ、いつでも自分のことが大好き! というわけではなく、自分の中の傷や、欠点、人と違うところ、ネガティブな面からも目を背けることが出来ず、そこに苦しんできたと思う。

(ある意味、それをわざわざ掘り出して痛みを味わうという、マゾヒスト的楽しみがあったことも否定できない)

 

 

自分の中にある要素、側面を知ることは楽しい。

いろんな人の目を通した「自分像」を見ていくのも楽しい。

 

 

それは純粋に、研究者気質(要はオタク体質)が満たされる楽しさでもあったけれど、それ以上に、自分の中にある要素の一つ一つ、自分のあらゆる側面を、わたし自身が認めたかったからじゃないかな、と思っている。

 

 

どんな要素も、どんな側面も、全部認めて、これがわたしなんだ、と言いたかった。

そして、どんなわたしのことも、好きになりたかったのだ、と思う。

 

 

人は誰でも、自分のことを好きになりたいし、肯定したいものじゃないかな、と思っている。 

でも、それで自分を丸ごと肯定できる人ならいいけど、多くの場合、自分を肯定する根拠、みたいなものが欲しくなってしまう。

 

 

そして占いは、その鍵のひとつにはなると思っている。

 

 

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占いは、道具(ツール)だ。

もっと言うと、占いとは情報(データ)だ。

 

 

だから「あなたは本当はとっても素晴らしい人なのよ〜」と洗脳してくる占い師の話でも聞かない限りは、占いそのものが自分を肯定してくれることはない。

「統計によると、あなたってこういう人ですよ」

という、ただの情報に過ぎないからね。そこには肯定も否定もない。

 

 

でも、使い方によっては、自分を知るツールになるし、自己分析や自己内観の参考資料になる。それによって、自分を肯定することもできるし、自分を好きになることもできる。

もちろん、未来を知る道具にしてもいいし、人の心を読んでもいいし、何かの決定をそれに委ねたっていい。

 

 

要は使い方次第で、使い方は自分次第だ。

 

 

わたしの場合は、自分に対する興味がありすぎて、ほぼ自分を知るための道具として使っていた、というだけ。

 

 

あとは娯楽かな。タロットや占星術は歴史が深くて、趣味として単純に面白いと思う。世界史や、神話伝承を読み解くような楽しさがあるよ。

 

 

ちなみに、わたしはとことん自分にしか興味のないやつなので、これだけ占いに詳しいくせに「わたし山羊座なんですけど、どういう性格ですか」みたいな質問には答えられない。自分の項目しか見ていないから。

 

 

どうしようもねーなーって思うけど、これが自分だからもう仕方ないかな、とも思う。自己肯定の第一歩は、自分を諦めることだ。

 

 

もう一つ、占いの鑑定結果を客観的な「自分像」として見てみる、という点では、この占いサイトが面白かった。

運命の歯車|誕生日から見る宿命と天命の診断

 

 

誕生日ごとに性格を見ていくものなんだけど、わたしの7月29日生まれが、なかなかすごいことを書いてあって......(笑)

「自分」として見るなら、納得いく部分もいかない部分もあるんだけど、もしこういう人物がいたら、と考えると、わたしこの人好きだなあ、と感じた。

7月29日生まれの人の運命診断

 

 

ちなみに一番当たってると思ったのはここ

しかし突如としてあらゆる仕事と責任を放棄して旅に出たり、急にやる気を失ったりと周囲から見ると奇怪な行動に出る事がありますので、納期などが決まっている制限付きの仕事は受けるべきではありません。

思いっきり心当たりがあるんですけど、こういうところがわたし一番、人として終わってるとこなんだよなあ(本当申し訳ない) 

 

 

面白かったので、よかったら見てみてね。

こういうふうに「自分」を見てみるのも、面白い。 

 

 

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